日常に潜むわたしの興味。

日常に潜むわたしの興味。

28歳女子。既婚。会社員。本、哲学、散策が好き。そんな私が見ている風景をお届けします。

飲んだくれ。

たまにの飲みの場。

久しぶりに気の置けない仲間と集まった時には、

ついつい羽目を外してしまいがち。

 

楽しくなってしまって、飲み始めると止まらない。

だから途中で「今日はこの辺にしておこう」と

自制できる方法を教えてほしい。

 

しかも飲む前にヘパリーゼの錠剤を体に仕込んでおけば、

大体次の日も耐えられることを知ってしまったので、

怖いものはもはやないという始末。

 

とはいえ、大量に飲みすぎた次の日は、

後悔に明け暮れる。頭がガンガン、ふわふわ回る。

おまけに気持ち悪さも加わって、最悪の状況。

 

基本、他の物事って終わりよければすべてよし的な要素があって、

途中のプロセスが辛くても、最後最高の感情で終わっていたら、

その思い出は良い思い出として頭に記憶される。

 

お酒の飲みすぎは次の日がこの上ないほどの最悪な状況に陥って

締めくくるというのに、何回も繰り返してしまう。

 

お酒がおいしく中毒性があって、

さらに仲間との会話が楽しくて、そっちが勝ってしまうんだろうな。

 

さて、飲んだくれになるのは、できる限りひかえよう。体を酷使しす過ぎる。

でも、飲みたいときは飲めばいい。やりたいことはやりたいときに。

そして、二日酔いで後悔したとしても、お酒の場は楽しかったのには変わりないので

後悔はほどほどにしよう。

最後の一滴まで楽める量。

神泡の冷えたビール。

最初はこの上ない最高の瞬間でスタートするが、

ちょっと時間をあけてしまい、

泡がなくなり、若干ぬるくなってしまい、

次の飲み物に行きたい気持ちで

終わりを迎えることがある。

 

同じように、化粧水やシャンプーなども、

最初使い始めたときは早く使いたくて、

ワクワクした気持ちでスタートするが、

最後の方は、次に行きたくて仕方なく、

早くなくならないかな~という思いで使うときも。

 

これって、目に見えて減っていくものに

言えることなのかなと。

 

こういうものたちには、

適量と、楽しむに適切な時間(期間)があると思う。

最初は少し少ないかな?位がちょうどいい。

腹八分目みたいな感じで。

 

大容量を選ぶときは、

よほど気に入ったもの出ないと手を出してはいけない。

 

もちろん気に入ったもの、リピートして必需品化しているものは

劣化しない限り、お得な大容量は進んで選ぶ。

買い物に行く頻度を減らせるから。

 

まだ自分のテリトリーに入り切っていないものは

結局使うことがかえってストレスになってしまう。

 

私は何でもかんでも欲張ってしまいがち。

でも選ぶときに、これってなんでほしいんだっけ、って

ちょっと、改めて考えてみるのも、

心豊かに日常を過ごすためのポイントなのかもしれない。

 

最後にビールは最初ちびちびいかず、

最初からグイっと行くのがいいのかもしれない。

 

失敗があるから成長する。

失敗は成功のもと。

 

ちょっと当たり前の話をさせてください。

 

失敗は、短期的な目線、その時だけを切り取ってしまうと、

悲しい、時間を無駄にした、辛い、いらいらする、、

というマイナスな感情に陥りがち。

 

でも、失敗は人生をさらに豊かにしてくれる。

「なぜ失敗した?」「こんな盲点があったのか」「次回は防ごう」

そういって振り返り、深堀り、

本来気付かない盲点に気付かされることも。

失敗の印象が強いときは特に

次回同じミスをしないように自分の脳が覚えてくれることもある。

 

失敗をするから、新しい視点が見えてきて

視野が広がることはよくあること。

 

当たり前の話をしてしまったが、

それをわかっていても

失敗したときはその衝撃が強く

気が重くなってしまいがち。だからこそ、改めて文字にした。

 

失敗があるからこそ人生は面白くなる。

あと、失敗したと思う感情も素敵だ。

たとえ小さなことでも、思い描く成功を目指して

挑戦していたに違いないから。

 

そんな思いで日々小さな挑戦をしていけたら

もっともっと

日常はは面白くなりそうだ。

温故知新と、とりとめのない想い。

古きを学び、そこで得られた知見を活かし、新たな知識を得る。

この言葉は好きなことばの一つであり、

私の人生にとって大切な考え方の一つ。

 

世の中は絶えず変化していて、ひとたび社会との交流を持てば、

時代の流れの速さを常に感じる。

そしてこの時代を生き抜くには、

常にその波に乗らなければならないとも思えてしまう。

 

ただ、生き方は人それぞれ。

それを自分の生き方とする人もいれば、違う感覚の人もいる。

だからこの世界は面白く、興味が尽きない。

 

少し脱線してしまったが、昔の考え方、長い歴史を持つ文化、

今日までに伝わってきているのには、何か理由がある。

その理由の中には、仕事に活かせるようなものから、

人生、生き方につながってくるものもある。

 

先人たちが受け継ぎ、時間の経過とともに磨き上げられたものを学ばずして

未来のこと、新しいことばかり追い求めるのは

少しもったいない気が、私はしている。

 

過去のことから自分の心が動いたことを拝借し、

現代、今を生きる自分の感覚と融合させて、自分オリジナルを表現する。

そんなことができるこの世の中は、本当に素敵な世の中だ。

 

きっと私たちが考えもつかないような血のにじむような努力で

今日まで受け継がれてきたものもあると思う。

 

それを受け取れるいまに感謝をしながら、

新しい何かを自分なりに表現していきたい。

 

小さなことでも歴史にちょびっと参加できるのではないか。

温故知新という言葉だけでいろいろ妄想をさせてもらえた。

からだのメンテナンス。

私は約3年ほど首肩こりに悩まされている。

もはや痛くない日などないので、日常化している。

 

痛みを感じ始めた当初は、病院に行ったりもしたが、

直る兆しがなく放置してしまっていた。

 

というより、整形外科に行って痛み止めを出されてしまったので、

治そうという気がなくなってしまった。

さらに、整骨院だったか接骨院だかに行って、

かなり営業を受けてしまって、それに疲れて2回目がいけなかった。

 

そして、歳月を経てとうとう腰にまで影響してきたので、

久しぶりに整骨院に行ってみた。

 

施術を受け、びっくりするくらい軽くなった。

からだが軽いってこんなにも幸せなんだって、

久しぶりに感じた。

 

改めてからだのメンテナンスは大事だと気付かされる。

そして、私の経験からそれは頼る人にもよると身をもって感じた。

(今回の整骨院はとても良かった。)

 

期間と予算を決めて、少しの間集中的にからだを改善していこうと思う。

 

痛みって慢性化するとそれが当たり前になってしまうから、

パフォーマンスレベルが下がっていることにも気づかなくなる。

 

だから、痛みや違和感がある人は、

できる限り放置してほしくないって、

仕事や周りのことだけでなくて

自分のからだに向き合うことも忘れないでって伝えたい気持ちになった。

 

別にお金をかけなくても、自分自身でできることもいろいろある。

ストレッチも、運動もとても重要。

 

自分のからだ状態が標準になるだけで、どれだけ生活の質があがるか

そう感じた日だった。

消費とつくること。

大量生産・大量消費社会。

それが当たり前の時代しか、私は生きていない。

 

何か欲しいものがあったとき、お金さえあれば大体手に入る。

いや、何ならいろんなものの大量生産により、お金も豊富になくとも、

一定のものは買うことができる。

 

また、それは物だけでなく、情報もそう。

知りたいことがあったとき、

いわゆる「ググれば」気になったことにすぐアクセスでき、

その情報の精度はともかく、何らかの答えがみつかる。

私も気になったことはすぐにググってしまう。

 

昔は、(といっても私の生きていない時代だが、)

何か欲しいとか、知りたいとか思っても、すぐには手に入らなかっただろう。

だからよほどの情熱があるときは、

自分でどうしたら手に入るか、また代替手段はないか考え、

多くの人が、たとえ小さなことでも、

自分なりに考え・ときには自分で生み出すということを

頻繁にしていたのではないかと思った。

 

いろんなものの進歩により、

できることはどんどん増え、新しいアイディアもたくさん生まれている。

 

今、多くの人が何らかの創作活動、

つまり自分で何かを生み出す活動しているのを見る。

自分には全くない発想に出会うことが多く、そのたびに感服する。

そしてその重要性もよく発信されている。多くの場合は、お金を稼ぐという意味で。

 

 

大量消費社会の中では、

自分が創造することより、消費することの方が圧倒的に多い。

 

話は飛ぶが、死に際に自分の人生をおそらく振り返ると思う。

その時に結局、何かを消費していることしかイメージできなかったら、

ちょっとむなしい気がした。でもそうなりかねない気もする。

 

何かを生み出す活動というのは、

「私の人生とは」というところにつながってくる気がした。

 

人は消費をするより、自分で考え生み出す方が

より達成感が得られ、人生の充実感に寄与するのではと思った。

 

だから。

そんな大きなことでなくていいから、

意識的に自分で何かを生み出すということを忘れずに、

生きていきたいと思った。

 

今日も寒かった。でも雨の音は何か寛大さを感じて心地いい。

 

誕生日は自分だけの記念日ではないということ。

年々、自分の誕生日をお祝いされるのがちょっと照れ臭く、

ときには素直に喜べなくなって、

誕生日をないがしろにするようになった。

 

でもその考え方ってちょっと横柄だなって思った。

自分しか見えていないから。自分が祝われる日というのが中心にきている。

 

自分の誕生日は、私が生まれた記念日だけでなくて、

母が子を産んだ記念日であり、

長女の私は、父と母が人生で初めて父と母になった記念日であり、

祖父母も初めて祖父母になった記念日で、私だけの記念日ではないのだ。

 

だからこそ誕生日はもっと感謝を伝えたいと改めて思った。

そして、それと同時に忙しい日常生活に追われている中で、

私の生まれた日というきっかけを通して、

思い出や、今までの人生を振り返るきっかけにしてもらえればと思った。

ちょっとこれもおこがましい話だが。

 

だからそんな余計なことは言わず、ただ「ありがとう。

これからも健康で長生きで。また会いましょう。」と

心を込めて伝える。それだけのことだけど、今後続けていきたいと思った。

 

先日誕生日だったので書き記しておこうと思い、

今日はこのお題に。

いくつもの仮面を持ち歩く私。

家族に見せる顔、友達に見せる顔、仕事場で見せる顔、

私は全部違う。

 

さらには、家族に見せる顔も、親姉妹、夫に見せる顔は違うし、

仕事場で見せる顔も、前職、現職で違う。

 

意識的に使い分けているわけではない。体か勝手にそうなる。

環境に合わせて変化してしまう。

だから、それぞれで、私の印象は違うと思う。

 

ただ、根本的な性格は変わらない。

譲れないものは譲れない、頑固な部分もある。

 

一時期本当の自分を出し切れていないことに、

少し もやっと したことがあった。

今日の私は作り物みたいだったな。と。

でも別にストレスではない。

 

そして気が付いた。別にそれでいいんじゃないかと。

 

無理しているわけでもなく、体が勝手にそうなる。

もはや気分転換のようなもの。

 

そうやっていろんな自分でいるのも悪くないし、

そもそも、こんなことめづらしくはない。

職場で堅苦しい上司が、外で羽目はずしがちだったり、

家では子供にでれでれだったり。

 

そうやってみんな、いろんな顔を持ち歩き、

この世界を回している。

なんだかおもしろい。

だから私もそのままでいることにした。

シンプルがいい。でもシンプルでないのが人生。

シンプリスト。

この言葉は、今ではもう目新しさはない言葉となっているくらい、

広く知れ渡っている言葉・考え方だと思う。

 

私も、物や選択肢を増やしに増やし、

あれこれ複雑に考え、毎日疲れ切っていた中、

この考え方に出会い、影響を受けた。

 

所有物、人との付き合い方、日々の生活などなど、、

小さなことでありながら実は心の負担となっていた

いろんなことがだいぶ整理できた。

そして、心が軽くなったことも実感している。

 

私の場合、言葉そのものに出会い影響を受けたというよりも

自分の夫(当時は彼氏)が、根っからのシンプリストさんだったので、

その影響は大きいが。

 

さらに私は、人生そのものに対しても、

もっと簡単・単純に考えようと試みた。

この複雑な、人生というものを

どうやったらシンプルにできるか。。

 

ただ、私が出した結論は、逆。

人生そのものは、簡単に、単純にとらえるようにするのは

やめようということ。

 

そもそも、そんな単純化された人生は人生ではないなと。

単純な人生ほど面白くないものはない。わざわざ生きる意味もない。

また結局、人生は私が想像する以上に、単純にとらえることはできず、

逆にそのギャップに悩むことになるだろうと。

 

人生は、何が起こるかわからないから楽しい。

日々行う判断や、持ち物に対する考え方など、

そういう面ではシンプルな考え方の良い点を取り入れる。

 

でも人生はシンプルにせず、もっと複雑に思いを巡らせ、

まだであったことのないものに思いをはせて、楽しみたい。

そう思った。

 

 

お金の節約。ストレスの節約。

豊かに生きるための、私の節約の定義。

 

 

お金の節約ではなく、

ストレスの節約をいかにするか。

 

これが、最近私の中で定義づけた節約の定義。

 

ストレスの節約。

といっても、ほしいもの、やりたいことにお金を使いまくるわけではない。

そんなことをしたら、消費の無限ループにはまり、

私の場合は一生満たされず、かえってストレスがたまるだろう。

 

ただ、お金の節約のために、

日常の制限を極端に行い、それでストレスが溜まっているようでは、

何をやっているのかわからなくなる。

最終的には心身ともに来てしまい、何のための節約なのかわからなくなる。

 

日常は質素に。お金を使いまくるわけでもなく、簡素に、シンプルに。

そして、毎日のようにかかるストレスを解決するためや、

自分の心がプラスに動く経験や、

ちょっとしたご褒美に対してお金を使う。

 

そういう考え方で、お金を使っていけたらと思う。

 

ここから派生して、贅沢の定義とか、ストレスのこととか、

いろんなことが頭に浮かんできたけど、

上手くまとめれそうにないから、今日はこの辺で。

本を読むこと。人との交わり。

私は本を読むことが好きな方。

少しの時間でも、読書に時間をあてる。

わたしの日課のひとつ。

 

読書が好きな理由として、

1冊の中に、自分の知らない物語、考え方、生き方、

いろんなものが詰め込まれていて、

新しい発見があったり、

自分が考えていた別のことがすっと解決したり、

思いがけない思い付きに転じたりと、

時には負の感情を抱くこともあるが、それも含めて、

とても心地の良い時間だからだ。

 

一つの本をとっても、人によってとらえ方は様々。

 

ある本に対して、幸福の感情をいただく人もいれば、

何かの思い出と結びつき悲しみの感情を抱く人もいる。

 

話は飛ぶが、それは本にだけいえることではなく、

人間にも同じことがいえる。

 

私は、何気ない日常の中で、

意外と多くの人と交わり、日々過ごしている。

 

職場で、プライベートで、唯一無二の多くの人と交わる。

その交わりの中では、

様々な感情を抱き、自分の人間らしさを感じたり、

自分にない考え方に出会ったり、

自分の価値観と照らし合わせたり、アップデートしたり。

 

人との交わりは、時に煩わしく感じてしまうときもあるが、

程よい関りは、人生を豊かにしてくれる要素と感じる。

 

反対に、私自身も、誰かに影響を与えている可能性が高い。

私は影響力がある人間とは言えないが、

こちらが人と関わりを持って生きている以上、その可能性がないとは言えない。

 

でも、だからって、誰かに影響を与えるために

生きなければならないわけでもないと思う。

 

もちろんそのような生き方をしている人は素晴らしいし、尊敬する。

逆に悪い行いで反面教師の事例となるべきではないとは思う。

 

でも人それぞれ、ありのままの自分で生きるだけでも

この世界は多様性に富む。

奇抜さなんかなくても、親、家族、育ってきた環境が違うだけで

全く同じ人なんていない。

 

ありのままの自分たちが、別の人の価値観の形成につながり、

その集合体の世界は、常に化学反応を起こし続けていると思う。

 

だから、やりたいことがある人は、やりたいことを。

とくにない人は、ありのままの自分を、ただ生きたらいいと思う。

ただし、他人を不幸にすることは絶対に避けたい。

 

日曜日の昼下がり。冷えた純米吟醸とともに。

お休みの日のお昼間、普段お酒飲まないようにしている。

理由は、夕方ごろに眠たく、だるくなってしまうから。

 

けど今日は、たまたまお昼にお酒をいただけるお店に入り、

見慣れない日本酒や焼酎を取り揃えているお店だったので、

思わず1合いただいた。

 

思いがけないおいしさ。心が高鳴った。

フルーティで、まるで白ワインのよう。冷たさがそれを際立てる。

その日本酒に使われているお米は、

日本各地でいろんな日本酒に使用されていて、

蔵によって表情が変わるのだとか。

 

丹精込めて作られた、日本酒。

日本酒とひとくくりにしてしまえばそれまでだが、

数ある種類の一つ一つに

ストーリーや込められた想いがあると考えると

それもまた楽しみの一つに。

 

とても些細なことだけど、

普段やらないことをちょっと取り入れただけで、

思いがけない出会いと、心の高鳴りに遭遇することがある。

 

日常にちょっとした、ほんの少しの変化を加えるだけ。

それだけでも1日の充実感って変わってくる。

歩く時間は整理の時間。

最近時間をとって、少しでも歩くようにしている。

リモート中心の環境になってから、

以前より意識的に外に出ないと、

歩くということをしない生活が当たり前になってしまいそうだから。

 

そしてその時間を、頭の整理、考え事をする時間にしている。

テーマは決めるが、できるだけざっくばらんに頭に出す。

 

歩いているとき考えると、

ちょっと視野が広がったように、頭の整理ができるときが多い。

とても良い時間だなと、感じている。

 

私の基本的な性格は、せっかち。

毎日会社に通っていたころは特に、

マナーがよくないと思いながらも、

歩きスマホをして、何をしていたかというと

誰かに連絡いれたり、何かの予約を取ったり、

そう、タスク処理。

 

歩いている時間も何かしなきゃって。

 

でも、そんな私に余裕のなさを感じていた。

確かにタスク処理はいつかはやらなきゃいけないから

やっているのだけど、

歩いているときにまでする必要はない。

 

この余裕のなさは、意外といろんなところに響いてしまう。

 

そして自分の中で決めたのが、

「歩いている時間は、頭の整理をする時間にしよう」ということ。

 

机やPCに向かっているときよりも、

運動しているときとか、お風呂入っているときとか、

何気ないときにひらめきがあったりするって、よく聞きます。

私もシャワー浴びてて、遭遇したこともある。

 

だから、それもうまく活用して、

そして、歩く時間をマナー違反の時間にするのではなくて、

もっと有意義な時間にしようと思い取り入れた。

 

 

こんな些細なことなのに、

頭の中に考えをいろいろ巡らし、

たくさん歩けた日は、1日の充実感が増した気がする。

 

自分のせっかちな性格が求めている、

たくさん歩く+何かしたい、という欲も満たされ、

解決したかったことも、何とか答えが出る。

 

今後も続けたいと思う。

ただ、気が乗らないときは無理にはやらないこと。

 

記憶はイメージで。ストーリーを添えて。

学生時代、暗記ばかりしていた。

その暗記は、テストでよい点を取るためだった。

 

何度も声に出して、語呂合わせで、音楽にのせて、

いろんなやり方で必死に暗記していた。

 

 

頭にたくさん叩き込み、知識を増やすことは悪いことではない。

 

でもなぜいろんなことを頭に入れるかって、

自分の人生を豊かにしたり、世の中に活かすため。

テストで点をとることだけのためにでは、もったいない。

 

問題を解決したり、新しいことを考えて形にしたり、

いろんな方法で、いろんな考え方で、いろんな組み合わせで

それを実現できるように、頭に入れるものだと思う。

 

あと、ひたすら暗記で頭にぶちこんだ知識って、

意外とすぐに頭から消えてしまう。

 

最近の記憶法は、イメージでインプットすること。

頭の中でカメラのシャッターを切るように記憶する。

イメージ記憶法というらしい。

この方法は、頭に残りやすいことを私自身実感している。

 

そしてもう一つ。記憶にストーリーを持たせる。

なぜ記憶したいことが、そうなっているのか。

前後の流れや、背景とセットで記憶する。

 

これが結構使えて、自分の中で記憶を呼び覚ましやすかったり、

一つの記憶とその流れのセットが、全く違う内容の仕事に活かせたりする。

 

ぜひ、気になる方にはおすすめしたい。

私の説明は抽象的だけど、

このような方法論はいろんな人が発信していると思うので、

ぜひ見てみてほしい。

 

今日、日中この記憶法に助けられた場面があったので、

本日の題材とさせていただきました。

自分の個性って。

人生を豊かに生きていくには、

自分の個性を自覚し、受け入れることが

重要になってきていると感じる。し、よく耳にもする。

 

 

自分が迷子になっているとき、

大体はよくない意味で人と比較してしまったり、

競ってしまったり、そして焦ってしまったり。

そんな時は自分のようで、自分でなくなってしまっている。

こんなことしていても意味がないと感じ、そしてストレスを感じる。

 

だからこそ、自分の個性を理解し、

それを軸に、私のままで生きること。

自分をよい形で尊重することで、

まわりに振り回されることもなくなる。

それが、自分らしく生きるということで、

結局一番大切なことだと、最近つくづく思う。

 

でも、問題は、個性って何かということ。

個性=他の人とちがった、その人特有の性質・性格。

つまり、強みや、好きなことや、そんな言葉にも言い換えられる。

学生時代、そんなこと上辺だけでしか考えてこず、

自分の個性ってなんだという問いにぶつかり、

ちょっと遅めの20代になってから、真剣に考え始めた。

 

 

個性っていろんないろんな場面で

思いがけず発見することがあると思う。

でも意図的に見つけるなら、例えば、

人に聞くとか、人生グラフを作って分析してみるとか

あえて自分の苦手なもの、弱みを逆手に取って考えてみるとか、

そんな手もあるのかな。

 

でも意外と、普段見ている景色の中で

心がプラスに動く瞬間があって、

そういうものが好みであって個性につながる。

心が動く瞬間が全部同じ人なんて、いないと思うから。

だからこそ、心が動く瞬間って大事にしたい。

そんな風に私は考えています。